稲足神社(いなたりじんじゃ)
東京都江東区亀戸3-57-22
稲足神社は亀戸の香取神社のなかにある小さな稲荷神社です。
香取神社の正面
香取神社を正面から入り、境内を社に向かっていくと、右側に小さな社が並んでいます。
香取神社内を横に並ぶ小さな神社群
その中のひとつに稲足神社があります。
少し近づいてみました。
稲足神社の由来版です。
御祭神:面足神 (おもだるのかみ)
惶根神 (かしこねのかみ) 相殿に 金山毘古神 (かなやまひこのかみ)
宇賀御魂神 (うがのみたまのかみ)
例祭日:9月15日
御由緒:寛文9年(1670)創立。明治以前は普門院の主管であったが、明治元年香取神社の奉仕となる。明治35年香取神社隣接地に所在していたが境内に 移転。琴平神社は宝暦年間香取12代神職香取正幸の鎮祭する処で、稲足神社は元渡辺稲荷神社と称え明治12年当社に合祀。
御神徳:産業発展・家運隆昌
(2010年9月3日)
東京都江東区亀戸3-57-22
稲足神社は亀戸の香取神社のなかにある小さな稲荷神社です。
香取神社の正面
香取神社を正面から入り、境内を社に向かっていくと、右側に小さな社が並んでいます。
香取神社内を横に並ぶ小さな神社群
その中のひとつに稲足神社があります。
少し近づいてみました。
稲足神社の由来版です。
御祭神:面足神 (おもだるのかみ)
惶根神 (かしこねのかみ) 相殿に 金山毘古神 (かなやまひこのかみ)
宇賀御魂神 (うがのみたまのかみ)
例祭日:9月15日
御由緒:寛文9年(1670)創立。明治以前は普門院の主管であったが、明治元年香取神社の奉仕となる。明治35年香取神社隣接地に所在していたが境内に 移転。琴平神社は宝暦年間香取12代神職香取正幸の鎮祭する処で、稲足神社は元渡辺稲荷神社と称え明治12年当社に合祀。
御神徳:産業発展・家運隆昌
(2010年9月3日)
講武稲荷神社(こうぶいなりじんじゃ)
東京都千代田区外神田1−9
講武稲荷神社は秋葉原の石丸電気本店の裏にある小さな稲荷神社です。
石丸電気本店の裏
全景
正面から
講武稲荷神社縁起由来
当社は旅籠町3丁目にあり、安政4年の鎮座にして神体は宇之御魂命なり。一説に運慶作なりと伝ふ。昔時大貫伝兵衛なるもの当講武所付属地の払下を出願し其の許可を得んが為め浅草橋場なる長昌寺に安置せる此稲荷神社に参詣し、祈念怠ざりしかば遂に安政3年5月22日を以って払下げ免許となりたる由。これが為翌年社祠を造営し其の本体を橋場より本社に移したるを以って創始としている。尚毎年5月22日を大祭日としている。
尚段の社域は大正12年の震災の際焼失せるも其後区画整理により現在地に安置せられたり。一般に火伏せの神なりと其の霊の灼さを伝へられ更に此の火伏護神と共に花街の繁盛に貢献顕著だと伝ふので近隣の三業関係人は勿論遠く向島辺から参詣人が多く時ならぬ賑かさも有りと申されて居る。(古文のまま)(外神田旅籠町会)
お水
帰り道
住居表示
斜め下から
(2010年9月2日)
東京都千代田区外神田1−9
講武稲荷神社は秋葉原の石丸電気本店の裏にある小さな稲荷神社です。
石丸電気本店の裏
全景
正面から
講武稲荷神社縁起由来
当社は旅籠町3丁目にあり、安政4年の鎮座にして神体は宇之御魂命なり。一説に運慶作なりと伝ふ。昔時大貫伝兵衛なるもの当講武所付属地の払下を出願し其の許可を得んが為め浅草橋場なる長昌寺に安置せる此稲荷神社に参詣し、祈念怠ざりしかば遂に安政3年5月22日を以って払下げ免許となりたる由。これが為翌年社祠を造営し其の本体を橋場より本社に移したるを以って創始としている。尚毎年5月22日を大祭日としている。
尚段の社域は大正12年の震災の際焼失せるも其後区画整理により現在地に安置せられたり。一般に火伏せの神なりと其の霊の灼さを伝へられ更に此の火伏護神と共に花街の繁盛に貢献顕著だと伝ふので近隣の三業関係人は勿論遠く向島辺から参詣人が多く時ならぬ賑かさも有りと申されて居る。(古文のまま)(外神田旅籠町会)
お水
帰り道
住居表示
斜め下から
(2010年9月2日)